明治十六年から、百四十年余。
愛知県あま市七宝町——地名そのものが「七宝」と呼ばれるこの地で、七宝への眼差し、磨き上げた技、挑み続ける意思を、田村家は代々受け継いできました。偶然ではなく、必然のように出会う、一点一点特別な作品を。
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Owari Cloisonné

七宝は、多くの工程を重ねて、頭の中に描いた絵を再現していく工芸です。窯の偶然に委ねるのではなく、想い描いた色を、想い描いた場所へ。
銀線を立てて絵柄を描き、釉薬をひと色ずつのせ、焼く。ひとつの作品が仕上がるまで、施釉と焼成は7回、8回と繰り返されます。そのすべての場面で、色の出方、線の通り、表面の艶を、職人は意図して制御し続けます。
田村七宝工芸の作品が「世界にひとつ」なのは、偶然のせいではありません。そのひとつを意図するために、すべてが計算され、設計されているからです。

花瓶/大型作品
花瓶・大型作品。田村七宝工芸の最上位ライン。家宝として、コレクションとして。
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七宝額絵
七宝額絵・額装作品。光の差し方ひとつで、見える表情が変わります。
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七宝ジュエリー
ネックレス、耳飾り、ピアス。同じ手から、同じ精度で焼かれた一点。
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明治十六年(1883年)、田村七宝工芸は、尾張七宝の中心地・あま市七宝町に窯を構えました。
以来、田村家は五代にわたり、同じ地で、同じ技を磨き続けてきました。時代が変わるごとに、文様も意匠も挑戦を重ね、ただひたすらに、美を追い求めて。
いまも、七宝のふるさとに残る、数少ない作り手のひとつとして、田村七宝工芸の窯は灯り続けています。


七宝焼の歴史は、世界では紀元前にまで遡ります。日本へは飛鳥・奈良時代に大陸から伝わり、正倉院に唯一現存する七宝施宝物「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」が、その最古の遺例。
その後、長く本格的な生産が絶えていた七宝焼を、ふたたび日本人の手で再現したのが、梶常吉でした。彼はオランダ船によってもたらされた七宝皿を骨董商から入手し、皿を砕いて構造を解析。天保四年(1833年)、ついに製法を再現し、小鉢を完成させました。この発見を起点に、尾張の地に職人が集い、産業として花開いていきます。
平成七年(1995年)、この地で受け継がれてきた技は、経済産業大臣により「尾張七宝」として伝統的工芸品に指定されました。
尾張七宝の歴史を知る
日本橋三越本店にて展示販売会のご案内 2026.1.2~1.5日本の職人「匠の技展」場所 日本橋三越本店7階時間 1/2と1/5…
【受賞】「遊魚」あま市七宝新作展にて愛知県知事賞受賞
【作品展開】「アジア競技大会公式ライセンスグッズ 七宝アートパネル」― 赤富士と桜、ホノホン ―
【作品贈呈】ラリージャパン2025にて愛知県からの贈呈品として「Rally Ignition」を制作贈呈
【優秀賞受賞】第5回日本和文化グランプリにて優秀賞を受賞
【作品展示・入選】工芸都市高岡2025クラフトコンペティション
【展示・入選】第58回 日本七宝作家協会展にて入選・東京都東京都美術館にて展示