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宝石で描写される超絶技巧の世界
七宝焼とは、銅板や銀板などの金属素地に純銀や純金の線を用いて図画を描き、クリスタルガラスの釉薬(絵の具)をのせて焼き付けた工芸品で、伝統工芸の一つです。仏典の中の七つの宝である金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、瑪瑙(めのう)、赤珠(しゅくしゅ)などにも並ぶほどのその美しさが、その名の由来とされています。
また、尾張七宝は愛知県七宝町(現あま市七宝町)が原産地であり、その繊細な技術と美しさから、経済産業省指定の伝統的工芸品としても認定されている美術品です。
土やセラミックなどを使用する陶芸とは歴史、用途、素材からして大きく異なり、ろくろ系の陶芸や陶磁器は日用品から派生して現代に至るのが特徴的なのに対し、七宝焼は原初より美術宝飾品として栄えました。
金属工芸とガラス工芸をあわせた合体工芸「七宝工芸」という独自のジャンルに区分され、素材や用途から見た時に近しい陶芸、金属工芸、ガラス工芸などとも異なります。七宝焼は伝統工芸品の中で唯一、宝石に類され物品税がかかっていたこともあります。
七宝焼は素地に銀や銅などの素材を使用し、その上にリボン状の純銀線や純金線を立てて絵柄を描きます。この非常に手間のかかる作業を行うことで、より繊細で美しいデザインが可能となるのです。線自体が銀や金で描かれるため、美しく光る線画も魅力の一つです。
ニュアンスをつけるのに銀箔、金箔を使用することもあります。七宝の絵の具にあたる釉薬は、金属素材やガラス素材を超高温で溶かして混ぜ合わせて一度固めたものを、砂状に粉砕したものを使用します。この色鮮やかな釉薬により、色彩豊かな工芸品となるのです。
七宝焼の起源は、紀元前の古代エジプトにおいて同様の物が見られ、日本においても奈良時代の正倉院宝物 黄金瑠璃鈿背十二稜鏡が残っていますが、近代七宝焼は天保年間に尾張国海部郡正治村(現名古屋市中川区富田町)の梶常吉によって再興され、海部郡遠島村(現七宝町遠島)の林庄五郎に伝えられました。
その後釉薬、技術等に幾多の研究が重ねられ、国内外の博覧会で数多の賞を受賞し七宝町の地に繁栄の礎を築いた七宝焼。その結果、尾張七宝は世界に名を誇る日本特有の伝統工芸品となったのです。
七宝焼の製造法は長らく研究され、種類も豊富になってきましたが、いわゆる本七宝と称されるものは、主として名古屋・七宝町で製作されています。
「すべてが計算美で完成する」どの作品も、工程ごとに焼成を行うため、完成までに8回程度焼くこともあります。
非常に繊細な技術と手間がかかる工芸ではありますが、その鮮やかな色合いや艶、色あせない輝きは世代を超えて愛されています。
宝石が描き出す世界