ルーツの異なる
《七宝》と《七宝焼》

—— 七宝焼はどこの県の伝統工芸か

七宝焼の起源

❖ 伝統的工芸品・尾張七宝

国指定の伝統工芸として

伝統工芸とはひとくくりに云っても、どこ指定の工芸かで、その意味合いは変わってくる。伝統工芸の中には、民間で浸透しているもの、都道府県で認定を受けているもの、国の定める認定を受けているものと、一般的には認知されていない伝統工芸の区分が存在するのだ。

中でも、いわゆる伝統工芸品と称されるものは、経済産業省の指定を受けた国公認の「伝統的工芸品」と呼ばれる工芸品のことを指す。

七宝焼とは、数ある七宝文化の中でも特に世界的な人気と褒賞を受け、国による伝統的工芸品の指定を受けた「尾張七宝」のことを一般的には意味する。この尾張七宝は現在では、愛知県のあま市七宝町(旧海部郡七宝町)と名古屋市に在する数事業所のみが制作をおこなっている。

❖ 愛知県が起源の七宝焼

世界が認めた尾張七宝

江戸幕末前夜の天保年間。尾張藩士の梶常吉という金工が、オランダ船が運んできた美しい皿に興味を持ち、これらを買い上げて研究したが、この皿が七宝の技法を用いられて作られた皿だった。彼はのちに、自身が身を置く地にちなんだ「尾張七宝」という七宝のブランドアイデンティティを確立。「七宝焼」という呼称も生まれ、近代七宝の祖と称されるまでに至った。

その後、尾張七宝の美しさに惹かれて七宝焼制作に携わった濤川惣助や並河靖之などの名高い七宝焼職人たちや、ドイツ人学者のゴットフリード・ワグネルらの協力もあって、尾張七宝、七宝焼の技術は飛躍的に向上した。同時期に世界各国で開催された万国博覧会で注目されたこともあり、時流に乗った尾張七宝は世界内外、特に欧米では非常に高い評価を受けたのだ。

❖ 七宝焼は結局どこの県の伝統工芸?

七宝=七宝焼ではない

つまるところ《七宝焼》とは、梶常吉が創始した「尾張七宝」とともに初めて親しまれるようになった言葉であり、古くは古墳時代より続いてきた《七宝》という工芸技法の名称とは意味合いが若干異なる。

七宝は中国や西洋、古代エジプトなどにも古来より存在する工芸技法の総称であり、七宝焼は日本における独自の七宝美術作品のことを指すのだ。特に、七宝焼という呼称とともに一世を風靡した「尾張七宝」が《七宝焼》のルーツであり本流と云え、数ある七宝工芸の中でも唯一、経済産業省指定の伝統的工芸品にしていされていることも、これを裏付けている。

ただ、七宝焼という呼称は明治期以降、日本の七宝製品に幅広く使われるようになっていったため、東京七宝や京七宝、大阪七宝などにおいても「七宝焼」「七宝焼き」という呼ばれ方をするものは現在数多くあり、これらも広義では七宝焼に含まれる。

もっとも、七宝焼がどこの県のものかという問いに対しては、概して七宝焼は尾張の出自と云え、梶常吉の活動範囲であった現愛知県の七宝町と名古屋が原産地と呼べるだろう。

宝石が描き出す世界

A world depicted in gemstones