七宝技法の系譜と、日本における七宝焼の成立

Ⅰ|世界における七宝技法の起源(エジプト)

金属の表面にガラス質の素材を定着させ、色彩を表現する技法は、古代から世界各地で確認されています。
現存する例の中でも、紀元前の古代エジプトにおいて、金属とガラスを組み合わせた装飾品が制作されていたことが知られています。

これらは現在「七宝焼」と呼ばれる日本の工芸とは、目的や構造、技法体系が異なりますが、金属とガラスを用いた装飾表現という点で、技術史上の遠い源流と位置づけられます。

Ⅱ|東アジアへの展開(中国・朝鮮半島)

その後、同様の技法は中国や朝鮮半島でも発展し、宗教用具や装飾品として用いられました。
これらの技法は交易や文化交流を通じて広がり、地域ごとに異なる表現と技術体系を形成していきます。

日本においても、奈良時代の正倉院宝物「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」に、七宝に類する装飾技法を見ることができます。

Ⅲ|日本における近代七宝焼の成立(梶常吉)

現在知られる日本の七宝焼は、こうした技法史の流れを直接的に継承したものではなく、江戸時代後期から幕末にかけて、独自に成立した近代工芸です。

天保年間、尾張国の梶常吉は、中国や西洋の装飾技法を研究し、日本の金属加工技術と組み合わせながら、新たな七宝技法を確立しました。
この技法は尾張地域を中心に伝えられ、現在の尾張七宝の基礎となっています。

明治期以降、七宝焼は国内外の博覧会に出品され、その技術と表現が広く知られるようになりました。
こうして七宝焼は、日本における独立した工芸表現として発展していきます

 

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